似たもの同士

似たもの同士



親子って、変なところが似る。

似てほしくないところだって。今日はそんなお話。


保育園年長さんのさやちゃんは、まるで私を小さくしたような女の子。


まず、声が低い。

小さなころの私も声が低かった。覚えてる、滑り台で遊んでいるとき私の叫ぶ声だけ

なんだかとっても低くって、他の子よりもすいぶん大人びた声だったことに気づいた瞬間。


若干ウチマタ。これも似ている。


年長さんは忙しいから、なんだかんだと行事がある。

その度に、

「今日は遠足があるから、8時半までには行かなくっちゃいけないの!早く!早く!」

と急き立てる7時45分。


我が家には「山本タイム」と「江口タイム」があって、なんでもかんでも早めに設定している山本タイム。いつもいつでもぎりぎりで、移動と移動の間にかかかる時間が設定されてない江口タイム(お心あたりの方、いつもすみません)

どちらかというと娘たちは山本タイムで動く性格だが、さやちゃんはすごい。山本タイムに輪をかけて時間にはうるさい。


保育園までは7,8分の距離。大丈夫だよー、って言っても遅れやしないかと心配で、そそくさと車に乗り込む。

車に乗っている間も「あーー、遅れるーーー」と低い声でささやく。


時間に関しては、早めに早めに。これ大事、いいこといいこと。ちょっと極端だけどこれは似ててよかったかな。だけど、これはよくありませんねえ。


心配性。


何週間も前から運動会が不安で不安でしょうがない。事あるごとに、

「あー運動会まであと何日?はー、心配だなあ、うまく走れるかなあ。うまく踊れるかなあ。

うまく覚えていられるかなあ」と、何日も前から緊張している。

わかる。気持ちは痛いほどに、わかる。

年長さんだから出場回数もすごく多いし覚えることもたくさん。失敗できないし失敗したくないから、余計に心配が募る。これも、わかる。

とくに心配なバルーン競技。みんなで大きな丸い布を持ち、それを空気で膨らませたり回ったりその中にはいったり、とにかく大変なのよ。最後にはかぶった布をとったら組体操のポーズで決めるんだけどそれがまた大変でねえ。。事細かく説明していて、さやちゃんは流れもきちんと把握してる。

組体操は何々ちゃんが下で、何々ちゃんが、上で、一番上の子は。。。と、全体の配役もばっちり

掴んでる。それがまた心配で心配で、誰かが登れなかったらとか失敗しないか落ちないか、不安でしょうがない。しかし細かいところまで、覚えてる。

ところでさやちゃんのお役はどこなのかな?


前日の雨もやんだ暑い秋の日。運動会はとにかく始まった。黄緑の帽子をかぶって笛の音に合わせて

手足をふってさやちゃんは登場した。


はじめに踊ったパプリカのダンス。

ふりは完璧。手足も目線も良い感じでのびのびしてる。あんなに心配していた人とは見違える

動きを見せている。


障害物競走。よーいどんの音にあせって一歩目の足がからまり、はじめのポールにつまづいて転んでしまった。気持ちの早まりがあだにでた。がんばれがんばれ。


親子競技。順番を待っている間ずっと

「ママ、絶対遅れないでよ」「ママが遅かったらどーしよー」「ママ失敗しないでよ」

と責められる。はいはいがんばるよ。似たもの同士のわたしも負けてない。前日から風船をお尻で割る練習、しといたもんね。涙


バルーン。音楽に合わせて、始まった始まった。

大きなカラフルなバルーンのはしっこを掴んで、みんなに合わせてやっている。さやちゃんが、小さく見える。

数々の見せ場を、うまく成功させていく。観客からも歓声があがり、ここまで仕上げた先生がたの努力も垣間見える。

みんながバルーンの中に隠れた、いよいよクライマックス!


バルーンがさーっと取り去られ、そこにはみんなが組体操でピラミッドになっている。


さやちゃんは、その横で、じゃーんって手で、ただ立ってるだけーー!!


そこだよねえ。そこ選ぶよねえ。妙な納得。母はさやちゃんの気持ちがわかる。だってわたしたち似てるから。失敗がいやだから。こわいから。はずかしいから。それで緊張しすぎてずっこけてしまう、あんまりよくないことだとわかっていても、どうしたって、似ている性格。だけどあんなに心配することないじゃん!と内心つっこむ母でしたが、その中でも失敗を乗り越えるさやちゃんの頑張りも見えた。

大仕事、おつかれさまでした!よくやりました。


心配性、一緒に克服していこうね。


責任感じる母でもありました。


もちろんいいところだってたくさん似てるんです。


それは、また今度。





だまされたい

ここからは、今までhanako mama web で連載していた個人ブログをお引越しして

こちらで投稿スタートします。

突然のブログ再開!ご笑覧いただければ幸いです。


「だまされたい」



私が机でお茶のラベルを切っていると、みとちゃんが近寄ってきた。

「手伝ってくれる?」

「うん、いいよ」

そこで私は、ラベルの角をハサミで切り落とす作業をみとちゃんに託したわけです。

四方の角には薄くラインがひいてあり、そこをなぞるようにして切り落とせば、美しい八角形のラベルになります。

みとちゃんは、はさみの下にゴミ箱を置いてゴミが散らからないようにする気配りもあります。

安心して私は他の作業に没頭し、

「できたからいくね」と去っていったみとちゃんにありがとー、なんて言って、ラベルを確認。


雑。

線からはみ出すわ、線を超えて切りすぎてしまったものは、もう使い物になりません。

ふーむ。困ったな。


でも、ふとわれに返り自嘲する。


みとちゃん、こどもじゃんね。

みとちゃん8歳3年生。いい年のアルバイトの人に頼むような気楽さでぽんとなげて頼んだけど、そうだった、そうだった、みとちゃんはまだ子供だから、もっと細かく説明してあげなくちゃ、わからない。線に沿って切るんだよ、とか、丁寧に、はみ出さないようにね。とかね。


みとちゃんには、なぜだかそんなところがある。いえ、それがどういうことかと言うと、なんとなく、大人を信じさせてしまう、何かがあるということなんです。


こんなエピソードを思い出す。


みとちゃんが2歳くらいの頃、口は達者だったが歩けなかった。ベビーカーに載せられておばあちゃんと散歩にいったのだったが待てど暮せど帰ってこぬ二人。

やっと帰ってきたと思ったらおばあちゃんは笑いながら言った

「道に迷っちゃってねー!それで、みとちゃんにどっちだっけ、って聞いたのよ、そしたら、みとちゃん、あっち、って言うからあっちの方向に歩いたら、全然違うのよー。でも当たり前よねー!

二歳の子に道教えてもらうなんてねえ。」


そうなんです。みとちゃんには、なんとなく、大人を信じさせてしまう、説得力があるというか、

安定感にも見える不思議なパワーがあるのでした。おばあちゃん、騙されたね。


小学校にあがりみとちゃんは、だんまりを貫き通している。言葉を発さない。もちろん、家ではおしゃべりだけど、でも、学校では話さないスタイル。1年生でそうだったけど、さすがにそろそろ3年生だしどうなんだろう。

それでも、最近はみとちゃんの会話の中に「誰々とこんな話をしてね。」「先生がこんなこと言ったからさ、こう返事をしたのよ」なんて風のことが混ざるようになってきたから、そうか、みとちゃんは学校で、やっと口を開き始めたのだな。と思っていた。

そんなある日の面談で先生は、


「みとちゃんはねえ。話さないんですよー。声を一度でも聞きたいです。」


これには驚く。だって、あの時ああ言ってこう言って、なんて話していたのは何だったんだろう。

どうやら話しかけられることに対して、頷くか、首を横にふるくらいのジェスチャーで、あとはお友達の会話を聞いている、先生とは筆談をしているそうだ。


はあ、そうなんですねー、家では本当にぺちゃくちゃおしゃべりしてるんですよー、なんて笑いを交えつつ弁明をし、この日の面談は終わった。もう少し、待ってみてくださいと、最後に先生にはお願いをして。


みとちゃんには、聞かなかった。いつもどおり、みとちゃんは楽しそうに、妹とわいわい遊んでる。

私の前にいるみとちゃんは、いつもの、安定の、みとちゃんである。


騙されとこう。

それが、子供を信じてあげるってこととほぼ同じならば、まんまと子供の言うことには騙されていたい。

いつか、あの時はさあ、なんて、胸の内をといて、種明かしをしてくれるまでは。


種明かしといえば、一時期無性に凝った手品。その時は肌身離さずトランプを持ってわたしたち大人に、「これ、ひいてみて」なんて言って相手を驚かせていた。

その時はみとちゃんは、手品師になりたいと言っていた。


基本的に将来の夢は常に変わる。

「みとちゃんの将来の夢はね、庭師でしょー。絵描きでしょー。アニメーターにー、、、」

妹だってまけていない。

「さやちゃんはねー、パティシエでしょー。デザイナーさんでしょー。看護婦さんでしょー」


そのたびに、

「へー、すごいなあー。ぜったいなれるよ!」

「楽しみだなー」


と感嘆の声をあげる。


みとちゃんとさやちゃんが、どんなふうに成長しようとも、何になろうとも、何をしようとも、


「騙された!」


と、惚けた顔で嬉しく見守っていきたいと、思っているよ。






bloom and bearing

I would like to keep my memory by drawing.

Shakuyaku did bloomed so many flowers  in my garden, It was treasure moment to pick and bring to my room.

Holunder is one of that we could see in the forest of Germany we stayed in.

It was like the drops because of they hanged the heavy fruits down.





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