だまされたい

ここからは、今までhanako mama web で連載していた個人ブログをお引越しして

こちらで投稿スタートします。

突然のブログ再開!ご笑覧いただければ幸いです。


「だまされたい」



私が机でお茶のラベルを切っていると、みとちゃんが近寄ってきた。

「手伝ってくれる?」

「うん、いいよ」

そこで私は、ラベルの角をハサミで切り落とす作業をみとちゃんに託したわけです。

四方の角には薄くラインがひいてあり、そこをなぞるようにして切り落とせば、美しい八角形のラベルになります。

みとちゃんは、はさみの下にゴミ箱を置いてゴミが散らからないようにする気配りもあります。

安心して私は他の作業に没頭し、

「できたからいくね」と去っていったみとちゃんにありがとー、なんて言って、ラベルを確認。


雑。

線からはみ出すわ、線を超えて切りすぎてしまったものは、もう使い物になりません。

ふーむ。困ったな。


でも、ふとわれに返り自嘲する。


みとちゃん、こどもじゃんね。

みとちゃん8歳3年生。いい年のアルバイトの人に頼むような気楽さでぽんとなげて頼んだけど、そうだった、そうだった、みとちゃんはまだ子供だから、もっと細かく説明してあげなくちゃ、わからない。線に沿って切るんだよ、とか、丁寧に、はみ出さないようにね。とかね。


みとちゃんには、なぜだかそんなところがある。いえ、それがどういうことかと言うと、なんとなく、大人を信じさせてしまう、何かがあるということなんです。


こんなエピソードを思い出す。


みとちゃんが2歳くらいの頃、口は達者だったが歩けなかった。ベビーカーに載せられておばあちゃんと散歩にいったのだったが待てど暮せど帰ってこぬ二人。

やっと帰ってきたと思ったらおばあちゃんは笑いながら言った

「道に迷っちゃってねー!それで、みとちゃんにどっちだっけ、って聞いたのよ、そしたら、みとちゃん、あっち、って言うからあっちの方向に歩いたら、全然違うのよー。でも当たり前よねー!

二歳の子に道教えてもらうなんてねえ。」


そうなんです。みとちゃんには、なんとなく、大人を信じさせてしまう、説得力があるというか、

安定感にも見える不思議なパワーがあるのでした。おばあちゃん、騙されたね。


小学校にあがりみとちゃんは、だんまりを貫き通している。言葉を発さない。もちろん、家ではおしゃべりだけど、でも、学校では話さないスタイル。1年生でそうだったけど、さすがにそろそろ3年生だしどうなんだろう。

それでも、最近はみとちゃんの会話の中に「誰々とこんな話をしてね。」「先生がこんなこと言ったからさ、こう返事をしたのよ」なんて風のことが混ざるようになってきたから、そうか、みとちゃんは学校で、やっと口を開き始めたのだな。と思っていた。

そんなある日の面談で先生は、


「みとちゃんはねえ。話さないんですよー。声を一度でも聞きたいです。」


これには驚く。だって、あの時ああ言ってこう言って、なんて話していたのは何だったんだろう。

どうやら話しかけられることに対して、頷くか、首を横にふるくらいのジェスチャーで、あとはお友達の会話を聞いている、先生とは筆談をしているそうだ。


はあ、そうなんですねー、家では本当にぺちゃくちゃおしゃべりしてるんですよー、なんて笑いを交えつつ弁明をし、この日の面談は終わった。もう少し、待ってみてくださいと、最後に先生にはお願いをして。


みとちゃんには、聞かなかった。いつもどおり、みとちゃんは楽しそうに、妹とわいわい遊んでる。

私の前にいるみとちゃんは、いつもの、安定の、みとちゃんである。


騙されとこう。

それが、子供を信じてあげるってこととほぼ同じならば、まんまと子供の言うことには騙されていたい。

いつか、あの時はさあ、なんて、胸の内をといて、種明かしをしてくれるまでは。


種明かしといえば、一時期無性に凝った手品。その時は肌身離さずトランプを持ってわたしたち大人に、「これ、ひいてみて」なんて言って相手を驚かせていた。

その時はみとちゃんは、手品師になりたいと言っていた。


基本的に将来の夢は常に変わる。

「みとちゃんの将来の夢はね、庭師でしょー。絵描きでしょー。アニメーターにー、、、」

妹だってまけていない。

「さやちゃんはねー、パティシエでしょー。デザイナーさんでしょー。看護婦さんでしょー」


そのたびに、

「へー、すごいなあー。ぜったいなれるよ!」

「楽しみだなー」


と感嘆の声をあげる。


みとちゃんとさやちゃんが、どんなふうに成長しようとも、何になろうとも、何をしようとも、


「騙された!」


と、惚けた顔で嬉しく見守っていきたいと、思っているよ。





Using Format