あめ

あめ


雨は、きらいではない。朝雨が降っているとなんとなくほっとする。太陽に急かされてやることも少なくなるし、そのグレーの暗い空と雨の色は、今ここにいられる自分のことを少しだけ、幸せに感じることができるからだ。


だけど、その日の雨は違った。横殴りの雨と風で、昨年の台風を思わせる勢い。木々が激しく揺れ、

花や葉はその風に乗って散っていく。

やがて嵐が過ぎ去り、青い空が雲間から覗き出すと朝散歩に出られなくて不満だった麦はそわそわしはじめる。雨上がりの空気は透明に澄んで気持ちが良いから、家族で散歩に出ることにした。


いつものグラウンドをぐるり歩き、子供たちが水たまりがどれだけ深いかを自分の足で確かめているその時、遠くで麦が吠える声が聞こえた。だいたい麦が吠えるのは、逃げていく鳥か、近所の野良猫、ネズミなんか、そんな小さなものにたいしてのみ、自分よりも弱いものにのみ、吠える。

今回もそんなものだろうとお父さんが麦を呼びに近づいていった。


「ゆうこーーー!!!」


今度はお父さんが叫びながら私の名前を呼ぶではないか!なんだ何事!?


遠くから、興奮気味の麦と一緒に、青い顔をしたお父さんが手のひらになにかを載せて近づいてくる。


子猫だ。雨に打たれてびしょびしょで、骨が今にも浮き出て見えそう。冷たい。だけど、口は

小さく動いてる。生きてる。だけど、どうしようもなく、冷たい。


お父さんの手で包むようにして、風があたらないように守りながら家に連れて帰る。


暖炉に火を入れ、タオル、毛布、マフラー、いろんなところからあたたかそうなものが集まった。

ボウルにお湯を張り、即座にその子をお湯に浸ける。

その横目には生まれたての子猫で検索した結果のページが開き、とにかく、保温。温めて。

とにかく。と。

湯の中で、少しだけ子猫の硬直が緩んだ。鳴き声も出てきた。生き返った。骸骨に毛が生えたみたいなその小さなものは、温かなお湯の中で、元気に手足を動かし始めた。

緊急のため手近な牛乳をお湯で薄め、カクテル用の長いスポイトで飲ませる。これがまたむづかしくてむづかしくて、顔にかかるわ体にかかるわでなかなか飲めない。


湯たんぽを作り、その中に毛布を入れてとにかく寝かせた。乾いた毛はグレーにちじれてふわふわ。

目はかすかに目やにでくもったグレーだったけれど、時に真っ黒な輝く目を、こちらにむけてくる。


お母さんを、探しているように見える。にゃーにゃー、声の限り鳴いては体を動かして、お母さんにあたるのを待っているように、もぞもぞと動く。


麦が見つけたのは、小屋の軒先あたりだったが、完全に軒からははずれた雨ざらしの場所に転がっていた。

もしかしたら、お母さんを探して動いて雨の中に出てしまったのかもしれない。

隣にいた黒い子猫は、すでに死んでいたそうだ。(後にお父さんとみとちゃんで戻り、その子を連れて帰り庭に埋めてあげた)

お母さんは、必死で軒まで子猫を運んだが、この日の嵐でもどってこれなくなったのか。。

それとももう、育てられないと見切りをつけたのか。。はたまた人間がこういうことをしたのか。。。答えはわからない。ただ、私達は、始まったのに終わりかけていた命を、拾ってしまったのだ。


どうすればよいのか?そんなことはわからなかった。でも、とにかく体を温めることと、ミルクを飲ませることに専念することにした。

3時間おきに、おしっこをさせて、ミルクを飲ませる。

だんだん、恐怖に満ちていたような雰囲気は去り、目にも輝きが増してきて、元気になっていくように見えた。私たちも、とにかくその可愛さに、みんな完璧に心を奪われた。


名前を決めよう!朝の散歩をしながらみんなで話合った。うちの動物たちは、みんな食物系で

揃えてきたから、きっと食べ物の名前がいいだろう。そこは一致したが、みんなの意見はまったくまとまらない。めずらしく難航した。みとちゃんがアンケート用紙を配り、みんなの提案ネームと、

丸付け欄を作り、多かったものが当選ということにした。


あめ。


これが二票を勝ち取り(4人の投票だから僅差!)決定に。雨の日に拾われたから雨。

飴玉のあめでもあるし、ね。


あめ。雨。飴。可愛い名前。


あめは、可愛かった。みんなの手の中にすっぽりと収まり、愛嬌のある顔でくねくねと体をよじらせた。ミルクは難儀したけど、赤ちゃん用の哺乳瓶でなんとか飲めるようになってきた。

胸にくるんであげると、ごろごろといっちょ前の音がなり、自分の腕をなめる姿は、もう大人になったきなこやあんこと全く一緒で、ミニチュア感がたまらなく、可愛かった。


2日後、麦は避妊の手術を控えていた。この日にいつもお世話になっている動物病院に予約をとっていたから、あめも、みてもらってはどうか。お腹に虫がいるかもしれないし、今後の育て方も、私達には皆目わからなかった。とにかく見てもらって、元気もありそうだから、一緒に連れて行くことにした。


あめをダンボールに入れ、麦を抱きかかえ、車は出発した。麦はひどい車酔いがあるので、

窓を全開にし、どうにか麦が酔わないように、慎重に走った。麦は体も成長したからか、落ち着いてじっと座っていてくれた。

病院に着いて麦は院内に預けられていった。その病院はいつも混んでいて、最低でも一時間は待つ。

コロナの影響で待合室では待つことができず、車で待機していた。その間、あめはずっと、寝ていた。


やっと呼ばれた。先生はあめに体温計をさし、

「低いねえ」と、不安そうにつぶやいた。体温が34度しかない。元気になってきたとはいえ、

冷たい雨に打たれていた時間で、あめの体は、芯から風邪を引いていたのだ。

歯も生えてきているから、生まれてから3週間ほどはたっているという。だけど、とても体が小さい。3週間という日々、どんなふうに、お母さんに育てられてきたかをまた想像してしまった。

とにかく体を温めてあげて、栄養を。先生の言葉はシンプルだった。


帰ってすこし冷めかけていた湯たんぽをはずすと、あめはやっと眠りから冷めた。だけど、今思えば、この時からもう、元気がなかった。病院からもらった抗生剤をミルクに混ぜて全て飲み干してくれたが、そこから急に様態が悪くなったように見えた。

長時間の移動に疲れてしまったのだろう、開けっ放しの車は、寒かったのだろう。一気に後悔が頭を巡る。


ほとんど鳴き声もなくなってしまい、口も開かない。時々うなるようにくーーんと音がする。

哺乳瓶では到底口の中に入らなくって、注射器でミルクを流し込んであげる。その度に、ちょっとびっくりしたようにうごめき、生気を取り戻すようだった。


夜中にはきっと、もう鳴いて起こしてくれないだろうから、自分で目覚ましをかけて、夜中にも湯たんぽの交換とミルクを流し込んだ。手足が、冷たい。最初に触った、あの驚きがまだ残っているから、ふと不安になる。手で包み込んで、息で温める。もう、口の中に入ってしまいそうな勢いで

息を吹き込む。はーっと温めると、若干だけど気持ちよさそうで、指先ほどの手足の肉球が、鮮やかなピンク色になった。


「がんばれ。がんばれ。きみは男の子なんだから」


いつもは言わないような励ましの言葉をかけてみる。きっと伝わったら頑張ってくれるかもしれない。キューン。と、答えてくれる。

黒いきらきらした目のまわりの皮膚は、もう、なんとなく、死が漂っていた。

じたばたしてくれる手足も、数日前出会った、その感じ。


私が朝、目覚める時間には、もう、息がなかった。わずか、2時間ほどの間だった。

寝かせたままの横向きの姿勢で、固くなっていた。

夜明けの朝、窓を開けるとその時、前の夜から降っていた雨が、青空と朝日に輝きながら、また降りだした。優しい、柔らかな雨。

気のせいとは思いつつも、なんだかあめが、雨になってくれたような気がした。



晴れた朝。あめをお墓に埋めてあげよう。手術を終えて包帯をお腹に巻いた麦と、家族みんなでその場所にむかう。


この庭には、秘密だが、お墓がある。死んでいたうさぎや、殺されてしまったひよこ、そして、あめの兄弟も眠っている。その場所に、向かう。


お父さんが穴をほり、私とみとちゃんは、温室に満開だった、ニオイバンマツリの紫の花をたくさん摘んで、一緒に埋めてあげた。


わずか4日間の出来事だったのだけど、私たち家族には、小さな体で生きようとする、命の炎と、抗うことのできない死という、大きなものを残していってくれたように思う。後悔はきりがないけど、正解とか、不正解とかは、考えても意味がないと今になっては思う。

4日間、あめは私の子供だった。わたしたちの家族だった。それを、あめは幸せと感じてくれただろうか。きっと、くれたにちがいない。


わたしたちの暮らしの中には、たくさんのちいさなものの死が共存していることに呆然と気づく。

その中で、おろおろと、人間であるわたしたちは生かされている。そのことにもまた、等しく気付かされた。ただ、それだけ。


今日はとりあえず、ゆっくり休んで、明日からまた、動き出そう。


















ジカンのチョチク

ジカンのチョチク


このところの落ち着かない日々ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

今日は、読んでくださる方にお手紙を書くような気持ちで書いてみます。

私も、思うように家族に会えず、友達に会えず、寂しい気持ちでいます。それでも時々ラインなんかで画面で、顔を見られたらすこし安心しますね。笑顔のパワーって本当にすごいと感じます。


うちにはふたり娘が家にいますが、彼女たちはかなりのんびり、楽しく過ごしています。

もともと家から出ることをあまり好まない人でしたし、私は私で仕事柄自分の机で20年間テレワーク状態、あまり普段とは変わらないような気もいたします。

でも、いつもなら学校に行くはず、いつもなら、いつもなら。そんなことを考え始めるとやっぱり今の状態は少し変で、MITOSAYA のオープンデーも、しばらくキャンセルになってしまったから、

走り続けてきた歩調が、少しゆるまって、あれれ、となったりもします。


目に見えないウイルスという恐ろしいものが、どこに潜んでいるかわからない昨今。

私達は、ただただ、じっと我慢して、その時が終わることを祈るばかりです。

思うように出かけることもできないし、先程も書きましたが会いたい人に、会えない、その手をにぎったり、一緒にご飯を食べたり、一緒に話したり、そんなことがとても不自由であることが、なによりもしんどいです。


だけど一方で、家族で過ごす時間が増えた。そのことはなによりもの大切なことだなあっと、良い方向に考えればそうなのかもしれない、と思うのです。気持ちが、内側に内側に、子供のことをみつめ、家のことをみつめ、自分のことを、見つめる。これは、きっと私たちに今与えられた、大切な時間なのかもしれないと、思うのです。


ジカンのチョチク。という言葉を思いつきました。私なりの考え方です。

今まで、走ってきた忙しかった日々。それを時間の貯蓄と考えて、今はそれをすこしづつ、切り崩して自由に使ってみたい。と思いました。とにかく忙しかったこの数年間。疲れても、しんどくてもずっと動いていた。個人的にはかなりの貯蓄が懐に。(これがあれだったらいいのにな。誰ですか?そんなことを思った方は笑)その分、今は、大切な人を思う時間に。自分の好きなことをする時間に。いつもよりも、まめなお掃除に。

逆のチョチクもあるんです。それは、今。という時間。きっと、この日々には終わりが来る。

そしたらまたきっと忙しいから、今、子どもたちとゆっくりと工作をした時間をチョチクしておきたい。ちくちく縫っておいた穴のあいていたシャツは、きっと大急ぎで着る日には、嬉しい気分になるだろう。これが、今せっせと貯めているチョチクです。今だからできること。きっと読んでくださっている貴方にもあるのだろうと思います。少しづつ貯めて、気持ちを豊かにしていけたらいいですね。


私が以前、書き出した「自分の好きなこと」時々読み返しては、たったひとことひとこと、なにげないことばかりだけど嬉しい気持ちになります。こんな人でいたい。と、迷ったときにも読み返します。たいしたことを書いていなさすぎて恥ずかしいですが、これを最後に付け加えて、この手紙風投稿を終わりにします。


絵を描く。

お菓子を焼く。

焼き立てのパンで食事を整える。

ものを大切にする。

ものを愛し、直し、美しく保つ。

部屋を美しく。

服を美しく。

捨てるものも、美しく。

庭でとれるものを大切に使う。

花を飾る。

家を飾る。

笑顔でいる。

人を安心させ、楽しくさせる。

体を鍛える。気持ちの良い体でいる。

香りで自分を癒やす。

贈り物をする。



大好きな友人へ。母へ。




散歩のすすめ

散歩のすすめ


子犬が我が家に来て大きく変わったことがある。

それは、散歩をするようになったということ。

犬を飼う時に重要かつ問題になるのが、「誰が散歩につれていくのか」のように思いますが、

他聞にもれず最初はうちも同じでした。忙しくて無理じゃない?て。

平日の間は、朝おねえちゃんを送るついでにパパが連れて行きます。

だけど、週末の朝は必ず、家族全員で散歩をするようになったのです。ご飯を食べ終えて間もなく、

みんな温かなジャケットを着込んでさあ!行こう!


行き先は、、出入り口の門のほうではなく、裏の森につながる小さな入口から、私たちはわが家を出ます。チェーンを乗り越えて、直角に近い急な階段を登り始めると麦(犬)はもう喜々として、駆け上ります。自分が先頭をきってみんなの道を案内するかのように、駆け足で忙しそうにパトロール。

昨年の台風の影響で、山道は荒れ果てています。急な階段の途中には大きな木が倒れ、道を塞いでいます。あれあれよいしょ。わたしたちはくぐったり、またいだり、その傷跡すらも私たちにとっては散歩のアトラクション。もうすでに、その木の栄養をもらって蔓が、木肌をおおうように育ちはじめています。これもきっと、森の一部になっていくのかな。


森は静かです。葉の色、木々の影、透明で冷たい風、もれる光。すべての景色が私たちにとっては贅沢な出来事。麦がいなければ、こんなふうにみんなで連れ立って散歩をする時間をわざわざとることもなかっただろうから、本当に、麦がいてくれてよかったね。と話しているそばから麦はもう彼方のほうに走り去ったかと思えば、崖のような下り坂を駆け下りて、自分の勇気を試しているところ。わたしたちの気持ちなど、もちろん知らないわよ!といった風に。


妹のさーちゃんはわりと寒いだの帰りたいだのぶつくさ言ったりしているけれど、おねえちゃんのみっちゃんは、森の散歩になると本当にリラックスして楽しそう。

小道の前を歩くみっちゃんは、突然芸達者になります。枝を拾っておじいさんのように腰をまげて歩いてみたり、不思議なものを発見するとそこにひざまづいて眺めて渋滞を引き起こしたり、人の持っている袋にこっそり枯れ枝を差し込んだり、、振り向いては変な顔をしてきたりと、手を変え品を変え、

後ろにいる私を笑わせようとします。その度に立ち止まったり、大笑いしたり、くだらない話をしたり、、、

行先があるわけでもない、約束の時間が決まっているわけでもない。

ただただ、気持ちのよい道を歩いている。それだけ。それだけなのに、なんでこんなに楽しくて、楽しそうなんだろう。


ふと日常に思いを馳せると、そういえば、日々の生活の中では忙しすぎて、子どもたちが「見てみてー」と声をかけても、遠くからパッと一瞥して「見たよー、すごいねー」なんてやりすごしている私がいた。送り迎えもほとんど車で、手をつないで、歩くこともめっきり減った。

パパとママがそろえばいつも仕事の話ばかり。時々娘たちに「その話つまんない」なんて言われる始末。


散歩は、犬のためだけではなかったのだ。親にとっても子にとっても、その時間だけは、小さな小道を一列に歩いていて、誰もそれていくこともない。ずっと姿を見ていられるし、見ていてくれる。話を聞いてくれる。話ができる。

狭い道を二人の娘が「手をつなごう!」と言ってぎゅうぎゅうで横一列になって、「これ怖くない?両方のあなたたちが崖から落ちそうになったら私、扇のポーズで助けるね!」とか「今ママとみっちゃんがこの階段から落ちたら転がってまざってままみになるね」とか、紅白に出てきた欅坂のアイドルの振り向き方をマネをしたり、そんなくだらない冗談ばっかりで大笑いして、はじめは寒かった身体もぽかぽかあったまり、朝から割と疲れて気持ちが良い。


すっかり習慣になったこの散歩。

人間にも、必要なんですね。




プリンのお皿

プリンのお皿


昔からある特定の使われ方で登場する器や道具がある。それを見ると、その中身まで用意に想像できてしまう、そんな器。きっとどの家庭にもあるのだと思う。

たとえばわたしにとっては白い陶器の四角いお皿。小さかった頃母がマカロニグラタンをよく作ってくれた。

縁の角にこげたグラタンソースがこびりついたのを、一生懸命に小さなスプーンですくって食べた。今もこれを見るとその四角の陶器の皿は、他でもなく「グラタンの皿」であり、今でもその風景がありありと蘇るものとなった。

またたとえば小さな土鍋。これを見ると子供の私が風邪を引き、布団でうなっているところに真っ白いお粥とともに運ばれた、「お粥の鍋」として記憶が蘇り、これにたとえば湯豆腐をいれたとて、これは「お粥の鍋」以外のものにはなりえない。風邪を引いた時の辛さや、悪寒まで思い出してしまうのだからしょうがない。

実家の食器棚にはまだある、あの頃八宝菜をたっぷりいれてくれた深い皿、茶碗蒸しをあつあつで食べた黒茶の陶器のお茶碗。おでんの大きな鍋、、、、その器それぞれに、ある特定の思い出が染み付き、たとえ他のお料理がはいって出てきたとしても、その器は、私にとっては「シチューの皿」であり、「ポテトサラダの皿」なのだ。


私の食器棚にも、そんな器が、ある。それが、プリンの皿だ。

我が家ではいつからか大きくまとめて焼くプリンが定番になっている。アルミ製の型で焼いていたころもあったが、ふと試しで使ってみた、古いフランス製の楕円の皿、立ち上がりが6センチくらいもあり深さ、容量ともに、いつものレシピの内容量がぴたっとおさまり、しっかりした厚みからオーブンで長時間熱してもまったく問題ない安定感。焼いた姿はそのままテーブルに出せて、みなで好きなだけスプーンですくって食べられる、その自由さも子供たちには気に入られ、その時依頼この皿は、「プリンにぴったりな皿」となった。


さあ、今日の午後はプリンを作ろうかな。。。。

と独り言を言うと二人の大きな歓声。

「いつもみたいに、おおきく焼いてね。オーブンで焼く、ママのプリンが一番好き」とみーちゃんの念押し。さやちゃんはいつだってお菓子作りだけは一生懸命に手伝う。


カラメル作りは私がやる。マグマのようにもくもくやって、極限まで焦がして苦くしたほうが甘いプリンには合う。恐る恐るだった私も何度もやるうちに、かなりのところまで焦がせるようになった。それを遠目でみながらさやちゃんが卵を割る。小さな指を卵の殻に食い込ませて、危うげながらも、ボウルに卵を落とす。砂糖を入れて泡立て器でまぜるんだよ。と頼むと必要以上に張り切って、めいっぱいに振り回す。

牛乳にバニラビーンズを浸しておいて、火にかけて沸騰するのを待つ。

さやちゃんが泡立て器で動かし続けている卵のボウルの中に熱々の牛乳を少しづつ、少しづつ、

流し込む。立ち上る湯気が、甘い香りでさやちゃんはうっとりと「もうすでにプリンみたいな匂いがしてきたー」と大喜び。


茶こしで濾しながら「プリンの皿」へ。今日も今日とて、ぴったり、縁のギリギリでボウルの液体がなくなる。そーっとそーっと湯気でいっぱいのオーブンへ運び込む。

30分もたてば、黄色い、熱々の、甘いプリンが焼き上がる。粗熱とれたら楕円で、飴色のお皿のまま、冷蔵庫に入れ、程よく冷えたらそのまま食卓に、ぽんと、運ぶのだ。


道具は残る。大切に使っていれば、きっと私の命よりも長く、この器は残る。

実際にこの「プリンのお皿」だって、私が生まれた時よりももっともっと昔から、どこかの食卓の風景であった。


私と同じく、子供たちは未来にこの器を見たときに、プリンの情景は蘇るのだろうか。

飴色の、楕円形の、深いお皿。なにもはいっていなくても、これには、卵の黄色、バニラの香り、

甘い湯気の匂いが染み付いている。

この皿には他のおかずだって盛り付けるしサラダも煮込みも盛り付ける。

だけどやっぱりプリンは特別。


だから、きっとこれからも何度も、何度も作ろう。プリンを。


子供たちがこの皿を「プリンのお皿」と呼んでくれたなら、私はしめしめと、心の中で喜ぶに違いない。






いぬがやってきました

にわとりがいぬになった話。


もともとうちのお父さんはにわとりがほしかった。庭に放って草をついばんでもらい、卵も生んだらよいだろうということで、知り合いのたかなかさんに、常々頼んでいたのだった。

そのにわとりがこの春にたまごからかえり、夏をこしてだいぶ大きくなっちゃったけど、いる?というたかなかさんからのお電話。ではいちど伺いますと伝えたまた数日後、たかなかさんからまた電話


「近所のダムで、子犬が捨てられてたんだけど、えぐちさんちのこどもたちに、どうかな。」


わたしはにらみます。犬なんて、無理だから。うちは猫二匹でいっぱいいっぱい。こどもも二匹、いえふたりでいっぱいいっぱいなの知ってるの?すごみをつけて脅しているつもり。


でもさあ、とりあえず、見に行ってみよう。


たかなかさんのおたくは山の上の上。天上のような美しいところにあります。そして、動物がたくさんいます。犬は5匹。やぎ。鶏。豚。猫。楽園のようなそのお家の門にたどり着くと、いつものように、大きなシロクマのような犬や、101匹わんちゃんのようなたくましいぶちの犬などが出迎えてくれました、おや、そこにみなれない黒い犬がその塊の中でわちゃわちゃとじゃれてきます。このわんちゃんが、もしかしたら今回の問題の、わんちゃん?


たかなかさん

「いまね、にわとりが餌食べてちょうど出ていっちゃったんだよね。その間に、ちょっと犬、見る?」


おくさんが、部屋に入って、手の中に抱えて持ってきた子。


それが、その、今回の、問題の、わんちゃんだったのです。


お耳がたれて、目はやさしくて、とっても不安そう。くんくんと、決してなきません。


まずはじめに、みとちゃんがだっこしてみました。はじめて子犬をだっこするみとちゃんと、むぎちゃん。なんだかなんとなく、似ていて。


怖がって座り込んだままのわんちゃん。だっこするとすこし震えていますが、ふっと、その震えが消える瞬間があるのがわかります。


さあ、連れて帰ろうか。


あれ?これ、だれが言ったセリフでしょう?!


みんなの一致の意見で、連れて帰ろう。家族にしてあげよう。

何よりも驚いたのは、私が、このわんちゃんを一瞬で好きになってしまっっということなのでした。


たかなかさん「にわとりっ、どうする?」

結局帰ってこなかった鶏は諦めた、というかみんなの頭はすでにこのワンコでいっぱいで軽く忘れ、

帰りの車の中には、鶏を入れるつもりだった猫のケージに、犬が入っているという、おかしな状況に。


犬なんて一生飼うことはないと思っていましたが、それが、一瞬にして、変わってしまった。

人生なんて、なにも決まったことは、ないのですよね。


しかし、こんなかわいい子を、捨ててしまうという選択が、どうしてどうしてあるのでしょう。

ダムのそばで去られた飼い主の後ろ姿を見てしまったこの子のことを思うとたまりませんが、たかなかさんは、去っていったトラックのあとからすぐにこの子を救い上げた。そして、三日後にはうちに、きた。もしかしたら、

あなた、とっても、ラッキー!?


すぐに、この辺では評判の動物病院に連れて行くと、どうやら兄弟らしき同じような顔をした

子犬がやはり保護され、連れてこられたとのこと。よかったね。兄弟も、無事だったみたい。


さあ、子犬との生活がはじまりました。トイレのトレーニング。散歩。とにかくほめてかわいがれ!!!

という教訓をたかなかさんからいただきそれをまじめに取り組んでみましたら、まあ、元気で良い子に育っておりまして。


この「愛されるために、うまれてきた」みたいな子がそばにいると、わりと普通の日常の中でもたくさんの笑顔がうまれて、いい子いい子と、褒め称える言葉は自分をも元気にしてくれる。

とにかく、無理やりでも前向きにさせてくれる。前向き方向に、していける。面白い。


今日も冷たい風の中、散歩に出かける。近くてもなかなか通らなかった美しい道や、景色。

短い足を必死に動かしながら私の前を走るこの子に、なんだかいろんなものを、見せてもらっています。


麦。と名付けました。これから、よろしくー!






Using Format