散歩のすすめ

散歩のすすめ


子犬が我が家に来て大きく変わったことがある。

それは、散歩をするようになったということ。

犬を飼う時に重要かつ問題になるのが、「誰が散歩につれていくのか」のように思いますが、

他聞にもれず最初はうちも同じでした。忙しくて無理じゃない?て。

平日の間は、朝おねえちゃんを送るついでにパパが連れて行きます。

だけど、週末の朝は必ず、家族全員で散歩をするようになったのです。ご飯を食べ終えて間もなく、

みんな温かなジャケットを着込んでさあ!行こう!


行き先は、、出入り口の門のほうではなく、裏の森につながる小さな入口から、私たちはわが家を出ます。チェーンを乗り越えて、直角に近い急な階段を登り始めると麦(犬)はもう喜々として、駆け上ります。自分が先頭をきってみんなの道を案内するかのように、駆け足で忙しそうにパトロール。

昨年の台風の影響で、山道は荒れ果てています。急な階段の途中には大きな木が倒れ、道を塞いでいます。あれあれよいしょ。わたしたちはくぐったり、またいだり、その傷跡すらも私たちにとっては散歩のアトラクション。もうすでに、その木の栄養をもらって蔓が、木肌をおおうように育ちはじめています。これもきっと、森の一部になっていくのかな。


森は静かです。葉の色、木々の影、透明で冷たい風、もれる光。すべての景色が私たちにとっては贅沢な出来事。麦がいなければ、こんなふうにみんなで連れ立って散歩をする時間をわざわざとることもなかっただろうから、本当に、麦がいてくれてよかったね。と話しているそばから麦はもう彼方のほうに走り去ったかと思えば、崖のような下り坂を駆け下りて、自分の勇気を試しているところ。わたしたちの気持ちなど、もちろん知らないわよ!といった風に。


妹のさーちゃんはわりと寒いだの帰りたいだのぶつくさ言ったりしているけれど、おねえちゃんのみっちゃんは、森の散歩になると本当にリラックスして楽しそう。

小道の前を歩くみっちゃんは、突然芸達者になります。枝を拾っておじいさんのように腰をまげて歩いてみたり、不思議なものを発見するとそこにひざまづいて眺めて渋滞を引き起こしたり、人の持っている袋にこっそり枯れ枝を差し込んだり、、振り向いては変な顔をしてきたりと、手を変え品を変え、

後ろにいる私を笑わせようとします。その度に立ち止まったり、大笑いしたり、くだらない話をしたり、、、

行先があるわけでもない、約束の時間が決まっているわけでもない。

ただただ、気持ちのよい道を歩いている。それだけ。それだけなのに、なんでこんなに楽しくて、楽しそうなんだろう。


ふと日常に思いを馳せると、そういえば、日々の生活の中では忙しすぎて、子どもたちが「見てみてー」と声をかけても、遠くからパッと一瞥して「見たよー、すごいねー」なんてやりすごしている私がいた。送り迎えもほとんど車で、手をつないで、歩くこともめっきり減った。

パパとママがそろえばいつも仕事の話ばかり。時々娘たちに「その話つまんない」なんて言われる始末。


散歩は、犬のためだけではなかったのだ。親にとっても子にとっても、その時間だけは、小さな小道を一列に歩いていて、誰もそれていくこともない。ずっと姿を見ていられるし、見ていてくれる。話を聞いてくれる。話ができる。

狭い道を二人の娘が「手をつなごう!」と言ってぎゅうぎゅうで横一列になって、「これ怖くない?両方のあなたたちが崖から落ちそうになったら私、扇のポーズで助けるね!」とか「今ママとみっちゃんがこの階段から落ちたら転がってまざってままみになるね」とか、紅白に出てきた欅坂のアイドルの振り向き方をマネをしたり、そんなくだらない冗談ばっかりで大笑いして、はじめは寒かった身体もぽかぽかあったまり、朝から割と疲れて気持ちが良い。


すっかり習慣になったこの散歩。

人間にも、必要なんですね。



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