あめ

あめ


雨は、きらいではない。朝雨が降っているとなんとなくほっとする。太陽に急かされてやることも少なくなるし、そのグレーの暗い空と雨の色は、今ここにいられる自分のことを少しだけ、幸せに感じることができるからだ。


だけど、その日の雨は違った。横殴りの雨と風で、昨年の台風を思わせる勢い。木々が激しく揺れ、

花や葉はその風に乗って散っていく。

やがて嵐が過ぎ去り、青い空が雲間から覗き出すと朝散歩に出られなくて不満だった麦はそわそわしはじめる。雨上がりの空気は透明に澄んで気持ちが良いから、家族で散歩に出ることにした。


いつものグラウンドをぐるり歩き、子供たちが水たまりがどれだけ深いかを自分の足で確かめているその時、遠くで麦が吠える声が聞こえた。だいたい麦が吠えるのは、逃げていく鳥か、近所の野良猫、ネズミなんか、そんな小さなものにたいしてのみ、自分よりも弱いものにのみ、吠える。

今回もそんなものだろうとお父さんが麦を呼びに近づいていった。


「ゆうこーーー!!!」


今度はお父さんが叫びながら私の名前を呼ぶではないか!なんだ何事!?


遠くから、興奮気味の麦と一緒に、青い顔をしたお父さんが手のひらになにかを載せて近づいてくる。


子猫だ。雨に打たれてびしょびしょで、骨が今にも浮き出て見えそう。冷たい。だけど、口は

小さく動いてる。生きてる。だけど、どうしようもなく、冷たい。


お父さんの手で包むようにして、風があたらないように守りながら家に連れて帰る。


暖炉に火を入れ、タオル、毛布、マフラー、いろんなところからあたたかそうなものが集まった。

ボウルにお湯を張り、即座にその子をお湯に浸ける。

その横目には生まれたての子猫で検索した結果のページが開き、とにかく、保温。温めて。

とにかく。と。

湯の中で、少しだけ子猫の硬直が緩んだ。鳴き声も出てきた。生き返った。骸骨に毛が生えたみたいなその小さなものは、温かなお湯の中で、元気に手足を動かし始めた。

緊急のため手近な牛乳をお湯で薄め、カクテル用の長いスポイトで飲ませる。これがまたむづかしくてむづかしくて、顔にかかるわ体にかかるわでなかなか飲めない。


湯たんぽを作り、その中に毛布を入れてとにかく寝かせた。乾いた毛はグレーにちじれてふわふわ。

目はかすかに目やにでくもったグレーだったけれど、時に真っ黒な輝く目を、こちらにむけてくる。


お母さんを、探しているように見える。にゃーにゃー、声の限り鳴いては体を動かして、お母さんにあたるのを待っているように、もぞもぞと動く。


麦が見つけたのは、小屋の軒先あたりだったが、完全に軒からははずれた雨ざらしの場所に転がっていた。

もしかしたら、お母さんを探して動いて雨の中に出てしまったのかもしれない。

隣にいた黒い子猫は、すでに死んでいたそうだ。(後にお父さんとみとちゃんで戻り、その子を連れて帰り庭に埋めてあげた)

お母さんは、必死で軒まで子猫を運んだが、この日の嵐でもどってこれなくなったのか。。

それとももう、育てられないと見切りをつけたのか。。はたまた人間がこういうことをしたのか。。。答えはわからない。ただ、私達は、始まったのに終わりかけていた命を、拾ってしまったのだ。


どうすればよいのか?そんなことはわからなかった。でも、とにかく体を温めることと、ミルクを飲ませることに専念することにした。

3時間おきに、おしっこをさせて、ミルクを飲ませる。

だんだん、恐怖に満ちていたような雰囲気は去り、目にも輝きが増してきて、元気になっていくように見えた。私たちも、とにかくその可愛さに、みんな完璧に心を奪われた。


名前を決めよう!朝の散歩をしながらみんなで話合った。うちの動物たちは、みんな食物系で

揃えてきたから、きっと食べ物の名前がいいだろう。そこは一致したが、みんなの意見はまったくまとまらない。めずらしく難航した。みとちゃんがアンケート用紙を配り、みんなの提案ネームと、

丸付け欄を作り、多かったものが当選ということにした。


あめ。


これが二票を勝ち取り(4人の投票だから僅差!)決定に。雨の日に拾われたから雨。

飴玉のあめでもあるし、ね。


あめ。雨。飴。可愛い名前。


あめは、可愛かった。みんなの手の中にすっぽりと収まり、愛嬌のある顔でくねくねと体をよじらせた。ミルクは難儀したけど、赤ちゃん用の哺乳瓶でなんとか飲めるようになってきた。

胸にくるんであげると、ごろごろといっちょ前の音がなり、自分の腕をなめる姿は、もう大人になったきなこやあんこと全く一緒で、ミニチュア感がたまらなく、可愛かった。


2日後、麦は避妊の手術を控えていた。この日にいつもお世話になっている動物病院に予約をとっていたから、あめも、みてもらってはどうか。お腹に虫がいるかもしれないし、今後の育て方も、私達には皆目わからなかった。とにかく見てもらって、元気もありそうだから、一緒に連れて行くことにした。


あめをダンボールに入れ、麦を抱きかかえ、車は出発した。麦はひどい車酔いがあるので、

窓を全開にし、どうにか麦が酔わないように、慎重に走った。麦は体も成長したからか、落ち着いてじっと座っていてくれた。

病院に着いて麦は院内に預けられていった。その病院はいつも混んでいて、最低でも一時間は待つ。

コロナの影響で待合室では待つことができず、車で待機していた。その間、あめはずっと、寝ていた。


やっと呼ばれた。先生はあめに体温計をさし、

「低いねえ」と、不安そうにつぶやいた。体温が34度しかない。元気になってきたとはいえ、

冷たい雨に打たれていた時間で、あめの体は、芯から風邪を引いていたのだ。

歯も生えてきているから、生まれてから3週間ほどはたっているという。だけど、とても体が小さい。3週間という日々、どんなふうに、お母さんに育てられてきたかをまた想像してしまった。

とにかく体を温めてあげて、栄養を。先生の言葉はシンプルだった。


帰ってすこし冷めかけていた湯たんぽをはずすと、あめはやっと眠りから冷めた。だけど、今思えば、この時からもう、元気がなかった。病院からもらった抗生剤をミルクに混ぜて全て飲み干してくれたが、そこから急に様態が悪くなったように見えた。

長時間の移動に疲れてしまったのだろう、開けっ放しの車は、寒かったのだろう。一気に後悔が頭を巡る。


ほとんど鳴き声もなくなってしまい、口も開かない。時々うなるようにくーーんと音がする。

哺乳瓶では到底口の中に入らなくって、注射器でミルクを流し込んであげる。その度に、ちょっとびっくりしたようにうごめき、生気を取り戻すようだった。


夜中にはきっと、もう鳴いて起こしてくれないだろうから、自分で目覚ましをかけて、夜中にも湯たんぽの交換とミルクを流し込んだ。手足が、冷たい。最初に触った、あの驚きがまだ残っているから、ふと不安になる。手で包み込んで、息で温める。もう、口の中に入ってしまいそうな勢いで

息を吹き込む。はーっと温めると、若干だけど気持ちよさそうで、指先ほどの手足の肉球が、鮮やかなピンク色になった。


「がんばれ。がんばれ。きみは男の子なんだから」


いつもは言わないような励ましの言葉をかけてみる。きっと伝わったら頑張ってくれるかもしれない。キューン。と、答えてくれる。

黒いきらきらした目のまわりの皮膚は、もう、なんとなく、死が漂っていた。

じたばたしてくれる手足も、数日前出会った、その感じ。


私が朝、目覚める時間には、もう、息がなかった。わずか、2時間ほどの間だった。

寝かせたままの横向きの姿勢で、固くなっていた。

夜明けの朝、窓を開けるとその時、前の夜から降っていた雨が、青空と朝日に輝きながら、また降りだした。優しい、柔らかな雨。

気のせいとは思いつつも、なんだかあめが、雨になってくれたような気がした。



晴れた朝。あめをお墓に埋めてあげよう。手術を終えて包帯をお腹に巻いた麦と、家族みんなでその場所にむかう。


この庭には、秘密だが、お墓がある。死んでいたうさぎや、殺されてしまったひよこ、そして、あめの兄弟も眠っている。その場所に、向かう。


お父さんが穴をほり、私とみとちゃんは、温室に満開だった、ニオイバンマツリの紫の花をたくさん摘んで、一緒に埋めてあげた。


わずか4日間の出来事だったのだけど、私たち家族には、小さな体で生きようとする、命の炎と、抗うことのできない死という、大きなものを残していってくれたように思う。後悔はきりがないけど、正解とか、不正解とかは、考えても意味がないと今になっては思う。

4日間、あめは私の子供だった。わたしたちの家族だった。それを、あめは幸せと感じてくれただろうか。きっと、くれたにちがいない。


わたしたちの暮らしの中には、たくさんのちいさなものの死が共存していることに呆然と気づく。

その中で、おろおろと、人間であるわたしたちは生かされている。そのことにもまた、等しく気付かされた。ただ、それだけ。


今日はとりあえず、ゆっくり休んで、明日からまた、動き出そう。

















Using Format